Yuko's Room ('14.01〜'14.06)

お正月

あけましておめでとうございます。


晴れ晴れと、新年を迎えることが出来ましたでしょうか?

「一年の計は元旦にあり、一日の計は早朝にあり」
と申しますが、我々日本人のご先祖様は、太陽を神様のように崇拝し、
毎朝、日の出を拝むことから一日をスタートさせていたようです。


お正月に多くの人が初詣でをしたり、初日の出に手を合わせる光景を目にすると、失いかけているようで、やはり、日本民族の精神文化が脈打っているように感じます。


そもそも一年の歪みを「修正」する「月」という意味あいで、「正月」と呼ぶそうです。

身体の歪みが、様々な病気を誘発するように、心の歪みも時折修正しなければ、幸せになれないことを、私達はわかっているのでしょう。
参詣の後、何とも清々しい気持ちになれるのも、本来備わっている良心が、
呼び起こされるからかもしれません。
この素晴らしい日本文化を後世に引き継いでいくのも、
私達の役目ではないでしょうか。


私も、まずは産土神様へ、昨年見守っていただいたお礼と、新年のご挨拶をし、心の歪みを修正して一年をスタートさせたいと思います。


世の中が穏やかで平和な一年でありますように。
自然の恵みに感謝して。

〜2014.01〜

1/168 時間

受験シーズン到来〜
受験生は、只今、知識の詰め込み作業真っ只中!!
といったところでしょうか。
この時期は、何の為に勉強するのか・・・などと、
つべこべいっていられない状況でしょう。


そんな青年時代も、と~の昔の事となってしまった私は、
当時、沢山の積み残しをしたまま社会に出てしまい、
「もっと勉強をしていれば…」と。

しかも、その僅かな手札さえも、ただ持っているだけでは何の役にも立たず、
どの様に活用すればよいのか、所謂、どの様に知識を知恵へと昇華したらよいのか、試行錯誤しながら、今日に至っています。

本来なら、知恵に磨きをかけて、実践の真っ只中と言いたいところですが、
如何せん、余りに知識量が少なすぎて…
磨きをかける前に、手札の補充に追われる始末です。


それでも、歳をとるのも悪くないですね。
中途半端な見栄やプライドがなくなり、無知の己を受け入れる事が出来ます。
これを、開き直りと言うのでしょうか。


少し受験生を見習って、週に1時間、勉強タイムを設けることにしました。
磨く材料を生み出す為に。

何の勉強か…来年まで継続していたら、その時に報告がてら…
一言で言えば、小学生からやり直しです(笑)


「人はすべからく事上に在って磨くべし」by王陽明

〜2014.02〜

Photo by (c)Tomo.Yun

そわか~

「あとみよそわか」

私がこの言葉に出会ったのは、30年程前の事です。
確か、作家の幸田文さんが、お父様である文豪、幸田露伴氏から、
厳しく家事一般の躾を受けている時に言われた言葉だったように記憶してます。


あとみよ(跡見よ)~
…し終わったあとをみよ。
そわか(薩婆訶)~
梵語で、物事が成就する事を願い、成るか成らぬかの是非を心に留めるよう振り返れ、ということだそうです。


最後まで気を抜くな!
詰が大事!
ということでしょうか。


私達は、人より知識が豊富であったり、何か人より上手く、又は、人が出来ない事が出来たりした時に、優越感を感じます。
また、そのような事は人から評価されやすくもあり、ついついそちらの方ばかり目を向けがちです。

ただ、なんともないような些細なミスでも、
ご愛嬌で済まされなく、一大事に至るケースもあります。
所謂、詰の甘さからくる失敗。

この甘さはどこから…

私、思うのですが、
誰もが出来る簡単な事、さほど気に止めないような事を、
雑に行う習慣が詰の甘さを産み出しているのではと。

逆に言えば、日常所作のひとつひとつを、
・・・っぱなしになっていないか、事が成すことを見届けるようにすることが、
甘さを是正することに繋がるのではと。

今頃になって、この言葉の意味が、わかりかけてきたような気がします。

最近、やけにこの言葉が頭の中をよぎるのも、
日常の行為を疎かにするなと、あわてんぼうの私への警鐘なのかもしれません。

そわか~・そわか~

〜2014.03.〜

いいかげん

「花は半開を看、 酒は微酔に飲む・・・」by菜根譚


花は五分咲きの時期に観、酒はほろ酔い加減で飲むのを止める・・・
何事もホドホドが良いとの先達の教えのようです。


日常の食事から始まり、人付き合いに至るまで、
いい (良い) 加減が、少しは分かってきたように思います。

それも、ついつい過ぎてしまった後の、何とも言い難い後味の悪さを、
幾度となく経験してきたからこそです。


不思議なもので、もっともっとと、満たす事ばかり考えていた若い頃は、
心が満たされることはなく ( と言うより、満たされても更なる欲望が顔を出し )
ホドホドでよしとするようになってからの方が、心が満たされ、
おまけに、隣の芝生が青く見えるような事も無くなって来ました。

決して、現状に甘んじている訳でも、欲が無くなった訳でもありません。
ただ、足りない事を嘆くより、‘ある’ことに感謝する方が増えてきたというのでしょうか。
あの有名な、コップに入っている半分の水を見て、
半分しか無いと思うか、半分もあると思うか、ではないですが
「も」と感じる事が多くなってきたということです。

「いい加減」な生き方に、心地よさを感じることができるのも
身近にあるたくさんの「も」のおかげです。 合掌

〜2014.04〜

お陰さま

「君は、箸の持ち方が変だね」

初めて就職した会社の社長に言われた言葉です。
「我社は、入社試験の面接で、箸の持ち方が正しいかどうかで、合否を判断した時期もあったんだよ」

その場で正しい持ち方を教わり、即実行。
慣れるまで、どのくらいかかったかは忘れましたが、
今、正しく箸を使って、食事が出来るのも、あの時の社長のお陰です。

箸の持ち方だけではありません。

「ドアをノックする時は、トントンと二回だけでは、部屋向こうの相手が居住まいを正す為の時間が足りないので、トントントンと、三回はノックするものだよ」

社長だけでなく、社長秘書の方からも、
「電話の受話器を置くときは、かけてきた方より先に置かないように・・・置くときは、静かに」
「お茶のいれ方は・・・」

小さな会社で、お給料も安く、正直、当時はあまり満足してませんでしたが、
礼儀作法に厳しく、どの職場でも通用すること、人として大切な事を、お給料をいただきながら、教わっていたのだと、今になってその有り難さが分かります。
良い会社にご縁があったんだなと。

「 お・か・げ・さ・ま 」

本当に有り難いことは、陰に隠れてて気づきにくいものですね。

スポットライトをあびた光輝くものよりも、その裏の陰の力が気になるのも、
沢山のお陰さまを感じるようになったからでしょうか・・・

目に見えない陰の力に感謝して。

〜2014.05〜

雨音

梅雨入り間近、何となくからだが重く、気分も沈みがちになる季節ですが、
楽しみにしている事があります。

!!!!!!!!雨音!!!!!!!!

昼夜を問わず、様々な音に遮られ、日常生活では自然界の音を耳にする機会が、
随分と減ってきました。

それでも有り難いことに、私が暮らしている所では、
目覚めた時に、小鳥のさえずり、木の葉が風でそよぐ音、
少し足を運べば、小川のせせらぎの音など、
まだまだ自然の恵みに包まれています。
(残念ながら、波が打ち寄せる音を聞く事は出来ませんが…)

この自然界が奏でる音は、とても耳障りがよく、心が安らぎます。
その音の中でも、私は雨音が大好きです。

私にとって、激しい雨音は、心に溜まった垢や埃を洗い流してくれるように感じられ、穏やかな雨音は、静かな部屋で、読書や考え事をするのにもってこいのBGMです。

「脳内エネルギーの90%は音から」と言う説がありますが、
私達が耳にする音は、身体の細胞に様々な影響を及ぼしているようです。

そもそも自然の一部である私達の身体・・・人工的な音に囲まれて生活しているうちに生じる不調和音を調律してくれるのが、同じ自然界の音だと言うのも頷けます。

時には、雨音の調べに耳を傾け、心に休息を与えてみませんか。

「晴れて良し 雨もまた良し」

〜2014.06〜
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